スタッフ紹介>>>>>
 来年、設立60周年を迎える志賀設計。今年8月には、事務所の設立者である志賀信男名誉会長が逝去。これからも志賀設計のデザインの特色である『長く、安全に、確実に、そして美しく』を社是に、デザイン&マネジメントを目指し、常に新しい時代のニーズに応えるべく進歩と向上を続ける設計集団でありたい、と語る八島英孝(やしまひでたか)代表取締役社長に話しを聞いた。

―事務所の特色は
志賀設計は、来年度で60周年を迎える。機能性とデザイン性を重視した総合事務所で、これまで民間と官公庁の仕事を数多くやってきた。昭和40年代に福岡大学のキャンパスを手がけた頃から仕事の規模が大きくなっていった。昭和60年代から現在まで、この30年くらい、当社の業務の大きなウエートを占めているのは医療施設の設計で、その技術的下地となったのは、熊本県の製薬会社である化血研菊池研究所の設計。これは動物実験や感染性の病原体を取り扱う施設で、特殊な空調設備や廃液処理、大規模エネルギー供給設備などのノウハウをこの仕事で蓄積できたのが大きかった。医療施設の設計は、最初は小規模な診療所が多かったが、だんだんと大型の病院の仕事がふえていき、それに伴って福祉施設の仕事も増えてきている。

―最初はどのような物件を
 医療施設に関して言うと、昭和60年代に手がけた太宰府市にある丸山病院、福岡市にある福岡整形外科病院など、それと日本赤十字社の製薬施設などが初期の仕事だった。日本赤十字社の血液製剤センターの設計は、前述の化血研と同様に、技術的に高度な知識を要する施設で、ここでも多くのノウハウを蓄積できた。この当時のスタッフが、現在の医療施設の設計部門の基礎を固めている。病院の設計では、病院独特の機能を把握していないといけない。医療機器のセッティング、空調方式、給水排水方式などそれぞれ特殊なものが多く、数多くの経験がないとクライアントが要求する内容に応えられない。

―志賀設計のデザインの特色は
当社のデザインは、創業者である志賀信男の時代から、『長く、安全に、確実に、そして美しく』を目標にしている。雨漏りが発生しやすいデザインや構造的に不安定なデザイン、メンテナンスが難しいデザインは採用しない。また、奇をてらったデザインではなく、あたり前に美しく、そしてお客様の使い勝手を考えながら絵を書いている。

―医療施設以外では
医療施設のほか、文教施設もこれまで数多く設計してきた。昭和40年代の福岡大学の諸施設は初期の作品だが、それ以来、筑紫女学園、県立福岡女子大学、久留米大学、県立福岡高校、県立修猷館高校など、また幼稚園の設計も数多く手がけた。官公庁の施設も九州一円で数多く手掛けた。早良区民センター、吉塚合同庁、福岡市消防本部、ほか数えきれない。最近では県立太宰府特別支援学校や福岡市立舞鶴小中一貫校などに携わっている。

―上海にも事務所があるようですが
上海事務所は、志賀設計のOBが現地で開設した法人で、今年で8年目になる。始めのうちは、日本から営業の支援をしていたが、現在は独自にやっている。設計のやり方は日本と中国で、かなり異なる。ビジネスとしてみると、事業規模は大きいが、建設コストがまだ日本の7分の1くらいなので、日本国内で設計を行うのは採算的に無理がある。中国では外資系の設計事務所は、単独では基本設計しか受注できないシステムで、実施設計まで受注するには中国籍の設計事務所と共同しないと受注できないという規制がある。このあたりは、もっとオープンな制度になってほしいと思う。

―スタッフ数は
現在のスタッフは25人で、このうち一級建築士は13人。設計部門には意匠スタッフの他、インテリアデザイン、設備設計、構造設計、工事監理の専門スタッフが在籍しており、総合的な体制で設計を行える組織になっている。

―仕事を進める上で
 私は建築士の資格だけでなく、コンストラクションマネジメントや医業経営コンサルタント等のコンサルティングの資格も取得しているので、事業のかなり早い段階で企画・構想段階からプロジェクトに参加している。監理業務については、現在、根本的な見直しを行なっている。景気停滞が長期化したため、ゼネコンの工事管理が総合的なマネジメントではなくなってきた。つまり、利益確保が最優先になり、請負業の良き伝統であるCSや創意工夫が希薄になってしまった。そうした部分を、今後は、設計事務所がしっかりとやっていかないといけない。設計事務所の指導力が問われる時代になった。

―ゼネコンの状況は
大手、準大手のゼネコンに関して言えば、厳しい言い方だが、請負業の良き伝統がなくなり、利益優先が露骨になってきている。現場は図面に書いてあることしか施工しない。1990年代までは、現場で考えながら、決められた予算内でよりよいものを作っていこうという雰囲気があったが、今はそうした良き伝統は消滅しつつある。その意味では、地場の工務店さんのほうが、まだもの作りとしての良心が残っている。このような現場では、設計事務所の業務上のリスクが非常に大きくなる。現在、当社では、確実な図面製作体制、確実な現場監理体制を構築中である。今は、設計事務所の業務リスクに対する早急な対処 が必要な時代である。

―最近、リフォームが増えてきているようですが
リフォームの仕事には力を入れている。医療施設の場合、社会状況の変化とともにたびたび施設基準の改訂があるし、また新しい医療機器の導入なども行われるので、おおむね5年ごとに何らかの増築・改築が必要となる。最近手がけたリフォームは、銀行の店舗をクリニックに改装する仕事で、これは非常に面白い仕事が、良い作品になった。リフォームと言えば、私が30代の頃、一年間ローマに住みながらヨーロッパの街を見て回ったことがある。ヨーロッパでは、スクラップ&ビルドではなく、歴史を残す、という考え方が一般的で、建築の仕事は、新築ではなくインテリアの改装がメインとなっていた。日本でも街づくりや環境づくりの点で見習うことが多い体験だった。

―CM(コンストラクション・マネジメント)については
九州では、マネジメントという川上の仕事でフィーを得るのは、なかなか難しく、苦戦しているのが実情だ。東京では、CM業務は、ひとつのビジネスとして成り立っている。欧米企業は、日本の一括請負契約をあまり信用していない。下請業者との契約状況が不透明だからだ。そこに、一括請負契約ではなく、契約内容がオープンなCM方式が選択される理由がある。残念ながら、日本には昔からマネジメントに対して、フィーを払うという文化がない。マネジメントの良否こそ建設プロジェクトの成功の鍵なので、施主はマネジメントに対してもっと予算を割くべきだと、私は考えている。今後、要望があれば、CM業務に積極的に取り組みたいと思っている。

―中長期展望について
当社の業務の中で、医療関係の受注はこれからも当分続くと考えている。移転や建替えを計画している医療法人はまだまだ多い。建替えても、施工から30年くらい経つと、大規模な改修時期がくる。当社で設計した施設も、いずれリニューアルや増築が必要な時期がくるので、既存顧客との関わりをさらに強化していこうと考えている。建築物は完成したら終わりではなく、定期的に手を入れ、機能を更新していかなければならない商品。現在はクライアントが建物の管理にコストをかけない時代なので、その分、建物の寿命が短くなってきている。設計者としては、建物は、できるだけ長くよい状態で使っていただきたい。そのアドバイスがビジネスにつながるようなら、当社にとってもよい話。そのためには、設計の段階から、クライアントに、メンテナンスの大切さを周知していかないといけない。『長く、安全に、確実に、そして美しく』に繋がるビジネス展開を考えている。

―今後は
設計事務所にとって、今は過渡期だと思う。これからは、設計という単に絵(設計図)を画くビジネスからの脱皮が必要と考えている。当社の商品は建築設計という技術だが、基本はサービス業。今、こうした厳しい時代だからこそ、サービスの原点に立ち返り、サービスとはなにかをもう一度考え直している。サービスについての明確な方針がないと、企業は生き残れない。一部のゼネコンが目指しているような、企業利益最優先というものも、生き残るためのひとつのやり方かも知れないが、私はそうは考えない。建築物は、現場での一品生産である。自動車のような大量生産とは、また違ったサービスを創り出す必要があると思う。「図面の作り方」についても、「監理のやり方」についても、「メンテナンス」についても、ビジネスという枠組みの中で、サービスのあり方を、スタッフと一緒につくり上げていきたいと考えている。業界におけるこれまでのような設計者のポジションは、もう無い。設計事務所が、単に技術者を育てているだけだと、いずれ淘汰されていくことになると思う。

―現代の街づくりについて
日本のまちづくりの弱点は長期的な視点がないこと。つまり百年の計といえるような、まちづくりができていないことだ。道路などのインフラが将来を見据えて整備されていないのが、欧米の都市計画とは根本的に違うと思う。設計者は、大学でまちづくりを学んでいる人材が多いので、設計者がまちづくりの現場で、もっとものを言わないといけない。今は、業界全体が日々の仕事に追われて、まちづくりは二の次という風潮になっている状況だ。まちづくりに関して、設計者が前に出ていくためにも、ものづくりの企業がもっと前にでていけるような時代にしていきたい。

―最後に
志賀設計は、機能性・耐久性・審美性というデザインの基本要素に、マネジメントという新たな要素を加えて、クライアントに最良の商品を提供できる企業でありつづけたい。

八島英孝(やしまひでたか)代表取締役社長の略歴
昭和30年 2月 福岡県生まれ
昭和48年 3月 福岡県立修猷館高校   卒業
昭和54年 3月 京都大学工学部建築学科 卒業
昭和56年 4月 九州大学工学部建築学科 光吉研究室
昭和57年 4月 株式会社 志賀設計    入社
平成10年10月 同社 代表取締役社長就任 現在に至る

株式会社 志賀設計(福岡市城南区鳥飼5-20-11)
1953年(昭和28年)8月に逝去した志賀信男名誉会長が設立。資本金1,000万円